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寛彩人2
朝日新聞 日曜版(関西)
2012年6月24日

超一流の中 挑戦する大切さ

 挑戦というのは、たとえ失敗したとしても、大切なことだと思います。僕も2006年にヤンキースに入団し、目指していた大リーグの舞台に立てたことは、本当にうれしかった。
 デビュー戦は、07年4月7日のオリオールズ戦。結果は悪かったが(5回7失点)、本拠ヤンキースタジアムの雰囲気を堪能できた。一投一打に観客が盛り上がり、一方で、悪いプレーには地元ファンからもブーイングが起こる。米国では自分の投球に球場全体が反応する。投げていて楽しかった。4月18日の初勝利は一番の思い出ですね。
 クラブハウスの独特の習慣も、面白かった。試合前に音楽をかけて、気分を盛り上げる。ラテン系や白人の選手がいて、音楽の好みも違う。だから、当日の先発投手が曲を選ぶルールだった。もちろん、日本の曲もリクエストされました。
 ヤンキースには超一流の選手が集まっていた。年俸10億円を越す選手は普通にいたが、彼らの野球に取り組む姿勢は刺激になった。努力していない一流選手はいない。人一倍早く来て汗だくになっていました。僕もチャンスをもらったからには、頑張ろうと思ったが、08年6月からマイナーリーグでの生活。最後はなかなかチャンスをもらえなかったが、大リーグ昇格を目指して全力を尽くせた。僕を使うか使わないかは、最後は首脳陣の判断なので。
 (5年総額4600万㌦=当時役54億円で)ヤンキースと契約したが、大リーグでは2勝4敗。地元メディアにはいろいろとたたかれたと思う。でも、報道は一切見なかった。直接、僕に文句を言ってくる人もいないので、気にならなかった。自分の記事を読んでもプラスになることはないし、阪神時代から新聞とかは読まなかった。お金をもらいながら、好きな野球をやらせてもらっている。だから批判されてもつらくはない。逆にやってやろうという気持ちが強くなるんです。


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文章は校正用語でいうところの「ママ」です。
文脈の中に1回しか出てこない主語に対して「も」を乱発しすぎだろう。まずは「は」か「が」ですよ、「も」はあくまで変化球ですよ。
井川選手はインタビューに答えてるだけなんだから、文章は記者が組み立てないとまるで井川が頭わるいみたいじゃねーか…「デビュー戦はオリオールズ戦」とかさぁ。「頭痛が痛い」に近いものが。

内容に関してですが、彼が本拠地にしてた甲子園は客の反応が大きい球場だと思われてます。でも、私が実際体験した感覚で言うと、守りの間は静かなんだよね。投球に対するレスポンスは専ら打たれた時の「あーあ」的なものが多く、ストライクのいい球がいったとしても、拍手や歓声はまばらです。基本、マイナス査定なんだよね。日本の野球はさ。(つーか日本全体がありとあらゆるケースにおいてそう)
そういう違いを彼は感じたのではないかと、私は想像します。だから「楽しかった」と言ったのではないかと。

ところで、クラブハウスでかけた日本の曲って何?リンドバーグ?
彼はオリックスに移籍した今でも、マウンドテーマに「君のいちばんに…」を使っていて、そらもうファンは絶対そうに違いないと予想してたわけですが、いざ聞こえてくると笑わずにはいられない。泣き笑いですよ、幸せな。あれ、歌詞を知ってますか?井川ファンが、彼が渡米したあと、どんな気持ちであの曲の歌詞を思い出していたと思いますか。全くもう。

新聞は読まなかった、ということです。うんそうだよね。読んでも誰も幸せにならないようなものは読まなくていいな。
英語そんなにわかんないから大丈夫だろうと思ってた(笑)

スポーツ選手じゃなくても、超一流じゃなくても、挑戦することは大事なことだし、そのためには「他人の無責任な評価や評判」に心奪われないための習慣が必要だと、私も思います。
自分のこととしては、つまり、他人の目を気にしたブログは書かないということ。
# by harunok | 2012-07-26 22:28 | 井川慶さん(33)
寛彩人(1)
朝日新聞 日曜版 2012年6月14日
寛彩人
オリックスバファローズ投手

井川慶(1)

 6年ぶりに日本球界に復帰しました。米国で野球を続けたかったが、契約できる球団がなかった。僕は、浪人しないと決めていた。オリックスに決めたのは、早くから熱心に誘ってもらっていたのと、阪神時代にお世話になった岡田彰布監督がいた。2005年に阪神で優勝した時は、トレーニング中で間に合わず、監督の胴上げに参加できなかった。今年は何としても自分の手で岡田監督を胴上げしたいです。
 5月1日に2軍の阪神戦で、6年ぶりに甲子園のマウンドに立ちました。渡米前はいろいろと批判されることもあったので、阪神ファンから拍手をもらえたのがうれしかった。5月9日のソフトバンク戦で2032日ぶりに1軍で登板。足を痛めて4回途中で降板したが、イメージどおり投げられた。米国時代は中継ぎだったので。久々に集中できて楽しかった。今は2軍で調整中ですが、状態は良くなっているし、焦りもない。
 米国と日本で、一番違いを感じるのは食事です。米国の試合前の食事は、セルフサービス。自分でサンドイッチを作っていた。マイナーリーグ時代は、ファミレスでサラダに肉をのせたメニューを食べるのが習慣でした。米国は店が閉まるのも早く、ナイター後に食べに行ける店も少ない。それに比べると、日本は料理もうまいし、遅くまで店もやっている。日本は野球をする環境が整っている。
 日本である程度のタイトルを取り、モチベーションを保つのが難しくなって、米国に行った。日本に戻り、やる気の面がどうなるのかと不安だったが、一からやろうと思えている。まさか関西にもう一度帰ってくるとは思わなかった。米国よりは、関西の方がなじみやすいですね。

いがわ・けい
水戸商高卒。1998年から阪神でプレー。2006年オフに米大リーグ・ヤンキースへ移籍し、今年3月にオリックスに入団。



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朝日新聞の関西版で連載しているコラムです。
実家の母に切抜きを送ってもらうというスーパーアナログファンシップ。
ちっこい顔写真(新聞的な)も載っていて、しかもなかなか可愛く写っているという!

それにしても、内容はまぁいいとして(食事中心なのは予想の範囲内)、これは本当にプロの新聞記者、それも天下の朝日新聞の記者が書いた記事なんですかね。
目が滑って眩暈がするほどの悪文じゃないですか…理系の学部生でももうちょっときれいな文章書くよ。これがマジなレベルなんですか?新聞大丈夫ですか?
誰か道辻記者(デイリースポーツ)呼んで来て!

と散々悪態をついてはみましたが、取り上げてくれたことには感謝してます。
というわけで、切抜きが手に入ったぶんだけはチマチマ書き起こしていこうかと思います。

…今みたいに、赤子が寝てくれていればですが。

ちなみにチビは、この前の初勝利のインタビューの間、驚くほどじっと待っててくれました。
風呂上りでTシャツだけ着せられた状態で(下半身オムツ)。
お母さんが急に泣き出すのでビックリして、いっしょうけんめい慰めようと「笑えよ!一緒に笑ってやるからよう!」という感じでおちょけてくれました。孝行息子だぜ。
# by harunok | 2012-07-16 15:22 | 井川慶さん(33)
(左)再び
こんにちは、harunoyです。

なんか井川さんが帰ってくるらしいので、あわててログインしたものの
管理画面がすっかり変わっていてどうしていいのかわからないうえに
コメント欄はロシア語で埋め尽くされており、呆然としております。

(左)はその後に「阪神日記」とつくからには阪神ファンのブログであったのですが
色々思うところあり現状ただのアリゾナ(カーディナルス)ファンであるharunoy。
おまけに意外なことに、7ヶ月の赤子を育てていたりするうえに四月から職場に復帰する予定なので以前なら喜び勇んで明日にでも神戸にすっとんでゆくところ、この記事すら、赤子を寝付かせてからコソコソ書いている始末。

どうしたもんか…

しかしまぁ、岡田さんに任せておけばなんとかなるだろう。
久保田3イニングスの恨みはまだ忘れてませんが(本当です)、井川に関してはわりと信用してます。
オリックスがどうというより、また関西かよ!という点だけがなにより心配です。

そんなわけで、一日早いですが世紀の誕生日プレゼントを頂き万感の思い。
その調子でここも再開できりゃいいんですけど。


赤子と仕事と井川の三本立てかよ…
# by harunok | 2012-03-28 21:23 | 野球
Our Flawless
私がこのブログを放置しにかかっていたとき、読んで下さっていた方に、書くと約束したエントリーが一つだけあります。
2007年の5月に私はそれを書きました。
本当はまだ早いなということはわかっていたのですが、私はこれ以上タイガースの試合を今までと同じ熱心さで観ることはないだろうと感じていたし、(左)のエントリーというのは頭だけで書いているものではないので(私の場合は)、そのただ中にいるうちに下書きだけでもしておこうと考えたのです。

それから実に3年上の時間が経過し、私はその間にすっかりタイガースから距離を置くようになって、しかも私が記事をアップするとお約束した相手も既にブログを閉じられてしまい、それから連絡をとってもいません。
でも私は「そのとき」が来たらアップするつもりで、ずっとこのWordのファイルをバックアップし続けてきました。
3年も経つとはね!

そしてとうとう「そのとき」が来たということで、2007年に書いた原稿をそのままアップするという暴挙に出ようとしています。
あれから色々あったわけですので、本来なら原稿にも手を入れるべきなのでしょうが、私はやっぱり自分で見たものしか書きたくないので、改変はしないことにします。
選手登録名も当時のままにしておきます。
このブログの値打ちはいまや、時が止まっていることですので(笑)




以下、2007年5月に縁あってharunoyが書いた文章です。
もうお話しすることもなくなってしまったけれど、うなぎ先輩と、地下ベイベさん、そしてchizzntさんへ。


*****

あなたがタイガースファンだとして、きっと何人かはお気に入りの選手がいると思う。
私は井川が好きで、彼が試合に出ていれば井川のことばかり目で追っていた。
あなたもきっとお気に入りの誰かに同じことをしていたはずだ。
しかし実は私が一番長く見つめていたのは井川ではない。そしてそれはあなたも同様なのだ。
例えそのお気に入りがフルイニング出場を続ける金本だったとしても。

TVカメラを通して試合を観戦する多くのファンは、その試合の半分近い時間、実際には矢野を見ている。バックスクリーン横に設置されたセンターカメラを通して、ベンチの横のカメラ越しに、そしてバックネット裏から。

わざわざ審判に顔を向けてボールを受け取る律儀な姿
ワンバンしたボールに何か言い聞かせるように熱心にこねる姿
少し長めに作ってあるマスクの顎に指をかけて俯きながら葛藤する姿
キャッチャーボックスの土にそっと右手を乗せ短く祈る姿
構えたミットの色
大きくて真っ黒のリストバンド
塁審にスウィングをアピールする剣幕
キャッチャーフライに立ち上がって勢いよくむしり取ったマスクを、落下点に入ってからおもむろに投げ捨てる動作
せっかく試合を中断しマウンドへ行ったのにすぐに帰ってくる、あの間
ボールのコールが気に食わないと全身で表現する姿
両膝をついて、スタンドに飛んでいったボールを目で追う、あの取り残されたような姿
何があっても、どんなことがあっても、何度でも、マスクを被りなおす後姿

これを読んでいるあなたは、全部を今目の前で起こっているように思い出せるはず。
それこそが、彼が正捕手であった証です。

だから、どうかそれを忘れないでいて欲しい。
彼がもたらした真に大切なものは、記録には残らない。記憶にしか残らないのだ。



私はあけても暮れても投手が好きなので、矢野は丁度わが子の担任のようなポジションだ。はっきりいって思いつきで文句を言おうと思ったらいくらでも言える。
でも私は彼が目指しているものが何なのかということをあるとき一方的に推測し、それに思い至った時、全てを信じてみようと勝手に決めた。
『自分で考える投手』でなければダメだ、と矢野はいつも言う。『サインに首を振って何を投げるか決めろ』と。
それは責任転嫁なのではないかという声は当然あるのだろうが、私はまったく逆のことを思った。
もし全ての投手がそうなったとしら、そのときキャッチャーに何の価値が残るのか。
あなたは自分の手柄がどんどん小さくなる道を自らが指し示していることを解っているのか、と。
もちろん解っていないはずがない。
矢野はそういうキャッチャーだ、というのが私の結論だ。

彼には沢山の口癖がある。
その中ではあまり有名ではないが、投手が抑えたことを彼は「○○が抑えた」と言い、同じ台詞の中で、抑えられなかったことを「自分たちが点を取られた」と言う。
あまりに自然に言うので聞き流してしまいそうになるが、確かにいつもそう言う。
きっと本当に心からそう思っているんだろう。
彼はなんでもない雑談は上手だが、意図した方向に相手の考えを誘導するような言葉は苦手な方だ。
イチローみたいな含みのある「台詞」には縁がない。
だからこそ、その一言に参ってしまう。

いつだったか解説者が言った。
「矢野は古田タイプでも城島タイプでもない、あれはあれで新しいタイプのキャッチャーだ」と。
そう思う。若いキャッチャーはあんなのを目指したらダメだ。なろうと思ってなれるものではない。
矢野は、いつの時代も決して本流ではありえない阪神タイガースというヘンテコ集団にふさわしい、突然変異のようなキャッチャーだ。
頼りになるようなならないような、硬いような柔らかいような、賢いようなどんくさいような。
効いているのかいないのかよくわからない補助魔法のような彼の仕事。
しかし、実際問題あそこにい続けたのは矢野なのだ。
「阪神タイガース」は彼がいなくてもなんとかやって行くだろう。
なぜなら彼がそうなるようにせっせと仕込んできたからだ。
…などという、なんともあやふやな話を信じてもいいかな、と思わせる不思議な力が彼にはある。

私たちには沢山の大事な思い出がある。
あのときの能見は神がかってたとか、球児が一番凄かったのはあの試合だとか、久保田が本気出せばあんなもんだとか、井川はたまに本当に凄かったんだとか。
DVDに納めて、ブログにも書いて、今でも何度となく語ってしまう大事なシーン。
そして思い出しただけでお腹が痛くなるようなシーンも。
矢野にとって、それらはリアルな記憶だ。
彼は、時々信じがたくなるのだが、それらを全て自分で体験している。
そんな人間は世界中でたった一人だけだ。
彼の中にのみ蓄積している、沢山の動画。ボールを投げた本人すら知らない、唯一の記憶。コピーはない。

矢野輝弘は自分の全てを投げ出した見返りとして、気が遠くなるほどに価値のある膨大な記憶を手にいれ、そしてそれを独り占めしたまま静かにグラウンドを去ろうとしている。
ちょっと待って、そのお宝持っていっちゃうの、と阪神ファンなら誰でも思うだろう。
しかし、それをそっくり預けるに足る人間を、我々は他に知っているだろうか。


harunoy

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# by harunok | 2010-09-05 10:28 | タイガース
お久しぶり、さようなら


私は自分で思っていた以上に執念深いらしく、最後だから正直に書きますが、「井川なしで優勝できるわけねーだろ」って思わずにはいられませんでした。
井川さん本人がファンにそんなこと望んでるなんて思いませんけど、でもたった3年前のことですからね。忘れるわけないし。忘れないためにコレ書いてたんだし(笑)
あのとき、リアルタイムの生々しい気持ちを、あえてそのまま記録しました。
すごい恥ずかしい記録ではあるけど、今となっては残しておいて正解だったと思います。
阪神ファンは忘れすぎる。


あれからというもの、これ以上阪神タイガースに絶望することって不可能だと思ってたんですけど、まだその余地が残ってたことに驚いてます。

でもさすがに今回で限界。さようなら。
私にとっては、球団という実体のないものよりも、自分が選んだ生きてる選手の方がずっと大事で魅力的で価値があるものです。例え、今は違うチームにいたり、選手じゃなくなってたり、当時のプレーが出来なくなっていても。
というか、彼らの存在があまりに大きすぎて、チームより大事になってしまったというほうが正確かもしれません。
まぁとにかく、将来の私の阪神ファン人生は前払いで彼らにさしあげてしまおうと思います。
そんなに沢山の選手は必要じゃないです。
私には、エースは1人でいいし、キャッチャーも1人でいいし、犬好き左腕も1人でいいし、豪腕ロングリリーフも1人でいいし、スーパーストレートも1人でいいし、最強外国人左腕も1人でいいし、アウトローの真っ直ぐも1人でいいし、盗塁王も鈍足打点王もフルイニングも一塁守備もそれぞれ1人でいいです。
この先どんな選手が彼らの記録や記憶を塗り替えたとしても、こんなに好きになることはないでしょう。

ブログもファンで居ることも、止める宣言などせずフェードアウトでいいように思いますが
そう書かずにはいられない心情を、最後に記録しておきたいと思います。


harunoy
# by harunok | 2009-10-30 00:28 | タイガース